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 当該のページは、 0010992番目 (2001/05/20~) 更新日(2006/02/23) 『 kiho-P044
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白骨の御文章 (はっこつの ごぶんしょう

          
(蓮向寺住職 北條不可思 自釈)

謹みて 心静かに八万四千といわれるお釈迦様の説教の中から、本願他力のみ教えである阿弥陀如来様の智慧と慈悲のお心を頂いて私共の一生をよくよく見つめてみれば、本当に儚いもので、生涯の始まり、中頃、終わり、すべては夢、幻のようなものであります。

すなわち、人間にして一万歳の寿命を受けたということを知りません。一生は過ぎやすく、未だに誰か百年、二百年も生き長らえた人がありましょうか。

死というものは、自分が先か、他人が先か、今日か明日かも分からず、自分より遅れたり先に死んでゆく人は、木の葉につく雫や露よりもなお多いといいます。

しかるに、朝には紅色の顔をしている若者が、もう夕方には死んで白骨になることも、また、事実であります。

まさに、死に至る縁は無量であります。

早くも無常の風が吹いてくれば、ふたつの眼はたちまちに閉じ、ひとつの息は永久に絶えてしまいます。
紅色の顔は虚しく変わって、桃の季節のような美しい姿も消えてしまいます。

その時に至って、親、子、夫婦、兄弟姉妹、師匠、弟子、知人、友人など、縁有る人々が集まり嘆き悲しんでも、元に戻ることはありません。

そうそう悲しんでもいられず、野外におくって火葬にふせば、そこには唯、白骨のみ残ります。

哀れといっても言い切れないほどの悲しみ、虚しさ、儚さであります。

我等が命の儚さは、老人が先か若人が先か全く分かりません。

願わくば、誰もがはやく、命の尊厳に目覚め、お釈迦様がおすすめくださる大無量寿経の教説《阿弥陀佛の大いなる願い》を拠り処とし、「南無阿弥陀佛 ナマンダブ」と念佛を称えつつ、占いや、まじない、たたり等といった迷信、邪教、外道に迷うことなく、与えられた今日の日をあるがままに生き抜き、この世の縁が尽きて生きる力がなくなり命終わるとき、限りない真実の智慧と慈悲の佛様の心の世界、西方阿弥陀佛国土へ往き生まれるのであります。

罪業深重にして、無戒にして学浅く、禿(カムロ=ザンバラ髪の意)の念佛の僧ではありますが、心を込めて命がけの尊いご縁を賜った皆様へ筆を取りお便りさせていただきます。

◆  ◆  ◆

今ここに御参席の皆様には、それぞれに信教(シンズルトコロ)はおありとは存じますが、この文章は、混乱混迷の時代に人生を歩む私共へ、善人、悪人、男性、女性、学問知識を問わず、名誉地位財産の有無を離れ、「阿弥陀如来の本願を信じ、念佛申うさば無条件に佛になる」と示され、在野に生き、『野の聖』と呼ばれ、佛教の歴史のなかで異彩を放つ浄土真宗宗祖・親鸞聖人の御本意、『教行信証』『歎異抄』の一節を加え、本願寺第八代蓮如上人の『白骨の御文章』を自釈し法話にかえて書き記させて頂きました。

どうぞ、亡き方との縁(エニシ)が、この佛縁によって、眞(マコト)の絆となりますよう心から念じております。

合掌念佛

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Blues For Buddha 
-大悲の詩-


               詩/曲 北條 不可思 
                                     copyright Fukashi Hojo 2003
                     

あなたの悲しみがわたしの悲しみ
私の悲しみがあなたの涙
あなたの輝きがわたしの喜び
わたしの喜びがあなたの微笑み

諸行無常と吹きすさぶ
虚しい争いの渦の中

人の心に灯を
人の心に慈しみを
人の心に平安を
人の心に真実を

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悪しきいたずら者のたすけ船
暗き闇夜に白き道
智慧を眼に慈悲を足に
迷路抜け出す愚か者

火宅無常と吹きすさぶ
悲歎にくれる瞬間に

人の心に灯を
人の心に慈しみを
人の心に平安を
人の心に真実を



   *copyrigft2003 FukashiHojo+OfficeAmitaHouse*


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    浄土真宗本願寺派

(本山・京都堀川西本願寺/別院・東京築地本願寺)

    眞信山蓮向寺住職/東京首都圏都市開教専従員

  愚生 北條不可思(法名
釈難思)

【連絡先】

築地本願寺・都市開教対策本部 
 電話番号03(3541)1131

 蓮向寺 神奈川県相模原市当麻九坊院八六三ノ三○  
電話番号042(777)3011

住職 北條不可思

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白骨の章 御文章 出典  (2006/02/23 )


浄土真宗本願寺派、『浄土真宗聖典』 聖教データベース 教学伝道研究センター (ダウンロード)


『御文章』 (第八代宗主蓮如上人) 「五帖 (十六)」


「 白骨の章 」


夫人間の浮生なる相をつら~観するに おほよそはかなきものは この世の始中終まほろしのことくなる一期なり

されは いまた 万歳の人身をうけたり といふ事をきかす 一生すきやすし

いまにいたりてたれか百年の形体をたもつへきや

我やさき 人やさき けふともしらす あすともしらす

をくれさきたつ人は もとのしつく すゑの露よりも しけしといへり

されは 朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり

すてに 無常の風きたりぬれは すなはちふたつのまなこ たちまちにとち ひとつのいき なかくたえぬれは 紅顔むなしく変して 桃李のよそほひをうしなひぬるときは 六親眷属あつまりて なけきかなしめとも 更にその甲斐あるへからす

さてしも あるへき事ならねはとて 野外にをくりて 夜半のけふりとなしはてぬれは たゝ白骨のみそ のこれり

あはれといふも中~をろかなり 

されは 人間のはかなき事は 老少不定のさかひなれは たれの人もはやく 後生の一大事を心にかけて 阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて 念仏まうすへきものなり

あなかしこ~



                                                    以上

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