平成15年度 西本願寺・宗学院別科研究報告
「大悲の聲は慈慧の響き」
北條不可思
一 |
はじめに 浄土真宗の宗祖が親鸞聖人であることは、今更いうまでもなく明確なことである。 真宗史によれば、『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』と記す)著述の年をもって浄土真宗立教開宗と定められ、元仁元年(1224)が定説とされる。 だが、親鸞聖人にはご自身が一宗をひらく意思など微塵もなかった。 日本通史を眺めれば、宗祖たる師の意思が顕在化して一宗の立教開宗は成立している。 『聖徳太子が法隆寺を建立 仏法の興隆を願って(607年)』 『天台宗が公認される 最澄,比叡山中心に基礎固め(806年1月26日)』 『ひたすら南無阿弥陀仏 法然,苦悩のすえ浄土宗を開く(1175年春京都)』 といった具合だ。 ところで親鸞聖人は……。 『孤高の思想家,親鸞逝く 浄土真宗を残して(1262年11月28日)』 本文には、『不合理な呪術的信仰を否定し、民衆に受け入れらず(中略)時代の前衛、孤独な知識人であった』 との一節がある。 これは、 『浄土真宗を残して』を、『教行信証を残して』、と言い換えなければならないが、親鸞聖人のご生涯を世間的にまとめたともいえる。 しかし、真宗にあって、この理解されぬ独自性こそが宗体の背骨を貫いていると考えられる。 |
二 | 『孤高の思想家』の意味 『教行信証』において、親鸞聖人は念仏往生の真骨頂に迫る。 その著述の理由は知恩報徳があるが、別由として真実の教法の全貌を体系的に開顕しようとする意思があった。 そこには、容認し得ない、出雲路住心に代表される念仏の求道者から発せられる異義の隆盛が背景にあったと推察されている。 そして、およそ二十年の歳月を経て、その熱意が涸れることなく大著の完結へと至る。 親鸞聖人の論釈は、ご自身の自覚においては新しいものはなにもなく、七高僧によってあかされたもの、なかでも『よき人』(法然上人)がお伝えくださった念仏往生のみ教えを改めて体系化するというものであった。 しかるに、親鸞聖人の論ずる『浄土之真宗』は法然上人の伝えられたことを指している。 釈尊が説いた八万四千の諸経の中に、阿弥陀如来を讃嘆する経は二百を超えるが、そのなかで、 『大無量寿経』 (以下『大経』と記す) 『観無量寿経』 (以下『観経』と記す) 『阿弥陀経』 (以下『小経』と記す) をもって浄土三部経と定めたのは法然上人である。 この三経に親鸞聖人は何も足さず、何も引いてはいない。 まず親鸞聖人は、『大経』を真実の教法といただき、阿弥陀仏の救済は、往還二回向の本願法のはたらきにあるとして『教』をつまびらやかにしている。 衆生(私)が浄土往生を遂げた後、たちまちに還相して利他にはたらくいずれの仏果も、ひとえに絶対他力の本願法の救済であり、弥陀釈尊の経説における真実の教えとする。 救済をいただく『行』から『信』を別開された故はどこにあるのか。 本来通仏教では、教法は『教・行・証』の三法に分けられる。 いかなる救いであるかという教えがあり、救いをいただくための行いがあり、行いを修めた証としての果がある。 だが、『大経』の法による行は、弥陀名号の徳行に応じているので、自らが為す行ではなく名号妙果への『信』をことさらに重視している。 つまり、弥陀名号の徳は、衆生自力の余行の徳を、量・用・性いずれにおいても勝れて超えているので『大行』という。 だからこそ『信』は、諸行の有無を離れ、『一心』なる称名念仏をすすめられる。 『一心』は、【ひたすらに】【一途に】ではなく『他力信心ひとつ』での称名である。 しかし、難しい。 『如来よりたまわりし信心』が他力回向の絶対条件である。 『教』はすでに説かれている。『行』『信』は因であり『証』は果である。 因さえ獲れば果はおのずから得られるのであるから、四法の肝要は『行・信』にある。 しかも、この『行』は弥陀名号の『大行』であり、信ずる主体は我だが、信ぜせしむる主体は本願他力の弘願にあるのだから。 『愚禿』という言葉に込めた親鸞聖人の透徹した自己を見つめ、見限るまなざしの厳しさに圧倒されないものはなかろう。 その一方で、雑行を捨てて帰入した本願他力の救い、信心獲得を金剛心を得たりと、報恩に尽くしたご生涯を尊く有り難く思われてならない。 ところで、もし、親鸞聖人が『大経』を真実の教として、『浄土の真宗』をこの一経に限定されていれば、その時点で、法然上人の説かれた浄土門とは袂を分けていただろう。 だが、親鸞聖人はひたすらに三経を浄土を顕かす真実の経文とされている。 というのも、聖徳太子が日本に仏教の伝来をする以前も以後も、宗教論争は真仮廃立によって争われてきたのだ。 「この真あらばそれこそは仮だ」という相対を決しあった。 ならば三経を真仮廃立で釈すると、『大経』の念仏往生の立証で、著述の使命は果たしたはずだ。 法然上人は『阿弥陀仏の本願を信じ念仏を称えれば極楽浄土に往生できる』と説かれたのだから。 しかしながら親鸞聖人は、『大経』とは矛盾する諸行往生や自力念仏を認めているともとれる、『観経』『小経』に、阿弥陀仏の無量なる仏智無辺の大悲心の深さをみておられる。 つまり、『大経』を真実の教とする一方、『観経』『小経』を権仮の教と捉え、仮を仮として廃するのではなく、仮を説かなければならなかった仏意へと想いを深めていくのだ。 観仏三昧を宗とする顕説に、一心に弥陀称名による弘願念仏の三昧が穏彰されているとお味わいになられて、三経差別という表層的観点から三経一致という一層内面的な取り上げ方を領解された。 親鸞聖人の特質性が思想的な深まりとともに鮮明に顕れてくるのである。 それはまた、 『大経』を第十八願におき、弥陀の本意である弘願門とし、 『観経』を第十九願と受け諸行往生の要門、 『小経』を第二十願であり双樹林下往生の真門と読み解いた。 いわゆる六三法門である。 なかでも三願は、四十八願にあって衆生往生の因を誓う生因三願とされて、真仮の分別を際立たせている。 相対的には矛盾する三願を仏意の方便誘引と見極め、親鸞聖人ご自身の信仰経験の率直な告白は、未熟な自己や愚かさゆえの過誤さえも、弘願に至る弥陀仏の大いなるお手立てであったと領受されている。 ここで、廃立から穏顕が、ロジックではなく方便の願底に流れる真実へと帰入せしめる仏意との邂逅を、味わわれた後にいただかれた親鸞聖人の信心獲得の証であると受け止めることができる。 それは三願転入が弘願門への道筋と限定されるものではなく、『私においてはこのようなお手立てを如来よりたまわりました』という告白にある。 また、『転』という言葉を転換、反転という意ではなく、川の水が海へと流れ一味に変わるように、「うけこむ」と「かえる」という二つの意味を内包させて、ひとたび信を獲たならば正定聚と定まることを慶ばれておられることからもうかがえる。 親鸞聖人浄還後、『教行信証』は著作の意図とは異なり浄土真宗の立教開宗の実を結ぶが、それは、この大著に一宗の成立を可能にする『宗』と『体』が備わっていたことを証している。 たしかに親鸞聖人は『孤高の思想家』であったかもしれないが、終生を念仏者として如来の大悲を仰ぎ、仏智に照らされて歩まれたことこそは言明できる。 |
三 | 親鸞聖人ノススメ 親鸞聖人は、大変に寛容な態度を他者に対して示される。 それは、ご本願によらずば真実の往生は為し得ないとされた一方で、いかなる邪偽もひとたび信心獲得の縁あらば弥陀如来の大悲大慈のお手立てを「応に知る」ことになると見抜かれておられたからだ。 そして、親鸞聖人は勧められる。 聖道を去って時と機とに相応した真実に依るべし、と。 善知識のご指南をいただき弥陀本意の直説である浄土三部経に依るべし、と。さらに、 人に依らず法に依れ、 語に依らず義に依れ、 識に依らず智に依れ、 不了義に依らず了義に依れ の四依を知って法を修せよ、と。 親鸞聖人御作の和讃は、郡を抜いた多作でも知られているが、それは、自他の区別なく発せられたオリジナル・メッセージである。 仏徳讃嘆される大詩人の真実のメッセージは、平成16年、西暦2004年のまさに『今』も響きつづけている。 弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり 《夢告讃》 智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし 《正像末浄土和讃》 無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ 《正像末浄土和讃》 願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず 《正像末浄土和讃》 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし 《正像末浄土和讃》 まさに枚挙の暇がない。 |
四 | おわりに 『犬はワン、猫はニャンと鳴くが、人間はナンマンダブツと泣くんです』 東京仏教学院在学中、恩師・林水月和上が幾たびも幾たびも話された言葉です。 宗学院別科で学ばせていただいた一年間は、先生方のご講義が、予想を超えて高度にして難解でしたが、二十数年前に聞かせていただいた先生方のお話と重なり重なりして、尊くも有り難く、懐かしく嬉しく、真実法義の醍醐味を味わわせていただきました。 参考文献候補の著作があまりに多く、親鸞聖人の遺業がいかに計り知れないものかと戸惑うほどでしたが、学生時代に聴講のご縁を恵まれた諸先生のご著書をたよりに本編をまとめさせていただきました。 《了》 |
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浄土真宗本願寺派 眞信山蓮向寺住職/東京首都圏都市開教専従員 |
(2009/3/15 論文を読みやすくするために上記文章の文体のみ論文形式の左詰に修正)
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蓮向寺住職
北條不可思