神奈川県、相模原市、中央区、浄土真宗本願寺派、蓮向寺、
「唯信会」(ゆいしんかい)、 「総会」、 「学佛会」(がくぶつかい)、
住職 北條不可思、副住職 北條大慈、ご講師 岩佐准光、
総会、年二回の学佛会、ほか、
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1.学佛会
2013/06/29(土) 蓮向寺にて。学佛会、総会、 13:00~15:00、15:20~16:30
1)ご講題 「だめではなく、必要なくなる」
13:15-14:30
ご講師 岩佐 准光(じゅんこう) 師
「実践運動」、東京教区委員会常任委員、東京教区、西組、正行寺 副住職
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註: 以下は、蓮向寺さんから受領したご講師講話ご案内のA4×1枚、の用紙から、エプソンGT-5500 フラットベッドスキャナで読取り、パナソニック:『読取革命Ver.15』ソフトにより、文字認識して、イメージをそのまま文字に変換して、掲載したものです。
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「だめではなく、必要なくなる」
岩佐准光 ご講師
「実践運動」、東京教区委員会常任委員、東京教区、西組、正行寺 副住職
先日、学生時代の恩師が亡くなられたと先輩より知らせが届きました。
昨年、伝道資料センターの小冊子に原稿を提供していただいたばかりでしたので、不意の訃報に戸惑いを覚えたのと同時に、以前恩師より受けた講義の記憶がよみかえってきました。
それは先生が、ご門主様の組巡回の随行講師をされた際にある寺院のご門徒との質疑応答についての話でした。
「浄土真宗の門徒は家に神棚を置いてはいけないとお聞きしておりますが、なぜダメなんでしょうか?」
という質問があったそうです。
ご門主様の前でのあまりにストレートな質問で周りの僧侶方から「それは当然ダメだろう」といったざわつきが起きる中、先生はこう答えられました。
「ダメではないのですが、必要なくなります」
「阿弥陀様のみ教えを聞かせていただいていくと、私か助けてと思うより先に救いたいと願い続けてくださるこの仏様こそが、私の人生の全ての瞬間を共に歩んでくださると知らされていきます。
そうなると近所の目を気にしたり、他の神様にも保険のように拝む必要がなくなります。だから浄土真宗では神棚を置く必要がないのですよ」とお答えになったそうです。
先生より沢山のことをお教えいただいてきましたが私の中でこの講義が一番印象に残っていたようです。
京都から自坊に戻りたての私は「浄土真宗では、これはダメ。あれはダメ」と否定をし、習いたての教科書通りの形式を周りに押しつけようと息巻いておりました。しかし、だんだんとそれも緩くなり今では見て見ぬふりが得意になってしまいました。
ダメと連呼する前に必要なくなるようなちゃんとしたお取り次ぎを今の自分はできているのだろうか。こうあるべきと肩肘をはるより先に、その意味を伝えようと努力してきたのだろうか。恩師の訃報によって、僧侶としての原点をもう一度考えさせられた今日この頃です。
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No.0
No.1 左 北條大慈副住職、 右中央 北條不可思住職。
No.2 北條大慈 副住職 ご挨拶
No.3 ご講師紹介
No.4
No.5 岩佐准光 ご講師
No.6
No.7
No.8
No.9
No.10
No.11
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以上