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 当該のページは、 0012305番目 (1998/8/30~) 更新日(1998/7/26) 『 kiho-P008
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浄土真宗(本願寺派)

群馬県前橋市   清光寺(せいこうじ)  坊守


下図は前橋市にある、
『清光寺(せいこうじ)』
坊守(ぼうもり)(住職夫人)です。

『素顔で、こんにちは』

群馬県前橋市
浄土真宗 正覚山 清光寺
高橋 辰美 さん

 出身は富山県氷見市で、寺の娘でありなが
ら、高校生までお寺のことも、お経のことも、
何にも知りませんでした。親は4人兄弟の一
番下の私には元気だったらそれでいいという
感じでしたので、特に何も言いませんでした
(笑)。
 高校3年生になり、進学先を決めなくては
ならない時、私は英語が得意だから英文科に
進もうと思っていました。3年の時の担任が、
現代国語を3年間受けもってもらった先生で、
その授業で書いた作文から「東洋哲学にした
ら?」と勧められたこともあって、第一希望
を哲学に第二希望を英文科にしました。富山
の大学に進学してからは、遊びの方が楽しく
なって、いつも友人に代返を頼んでは「6月
の北海道はいいなあ」なんて、十数日間、リ
ュックを背負ってひとり旅をしていました
(笑)。


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『卒論が結んでくれた縁』


 青春時代っていろんなことかありますよね。

それまで一番身近かだった人が一番遠い人になってしまったり・・ 
人間不信に陥った時がありました。
専門の哲学に入り、いろんな本を読む機会が増え、これは私の求めている
世界に近いかも・・と感じることが多々ありました。

心に、こう、じんわり沁み込んでくるというか・・ 
朝早い授業で家を5時半に出て、
いつも先生とマン・ツー・マンの様な授業でした。

 実はその先生はお寺の住職さんだったんです。

大学3年の終わりに、「今からやらんと卒論がまにあわんぞ、
私が五つ題を選んでやるからその中から選べ」と言われ、
殆どがドイツの哲学者カントやヤスパースとか、カタカナぱかりの中に
たった一つだけ漢字があり、それが "親鸞"でした。

1,2年の頃のドイツ語の授葉をさぼっていたせいもあって、
先生に「親鸞にさせていただきます」と言ったんです。

 すると、「『教行信証』(親鸞の教えの集大成)を読め」と。

その時点では、それがどんなに大変な書物であるかも
知らずに開いてみたらなんと全部漢文。
手の付けようがありませんでした。

 先生と会う度、「読んだか?」、「読めません」

が続き、それではと、『お正信偈』(教行信証の内容を凝縮しているもの)を
勧められ、それに大変感銘し、『教行信証』を
勉強する勇気が湧いてきましたね。

それから『教行信証』を読み始め、
4ヶ月かかって卒論の提出締め切り10日前に
やっと読み終えることができました。
やり遂げた達成感で胸がいっぱいでした。
 「読んだか?」「読みました」と答えたら
すごく喜ばれましてね、『教行信証』を卒論で
やってくれたのはおまえだけだ、と。

 本当は卒論が終わったら卒業旅行にヨーロッパに行くつもりでいたんですが、
ヨーロッパなんかどうでもよくなりました。
 親鸞聖人の歩まれた道を私も歩いてみたいと思い、
茨城の親鸞聖人に緑のあるお寺を廻り始めました。

旅行初日にあるお寺の住職に
この旅行のことを話したら「わしが旅程を作ってあげる。
最後にわしが大好きなお寺に行ってみなさい」

 そのお寺に行ったら、そこの奥様がとても
素敵な人で、こんな方もいらっしやるんだと
魅せられて、お寺の奥さんになっても良いな、
とその時初めて思えました。

その奥様が、

「いとこに32歳になるのがいるけれど、なかなか緑がないのよ」

と言う話を持ちかけられて・・。

でもそんなに、気に止めることなく軽く聞き流していました。

 ところが後日、その男性の身上書と写真が送られてきたの(!)。
私のやりたい原始仏教を勉強している人でした。

九つ歳の差はあるけれど、心の拠り所を仏様の世界に
求める人ならば”ついていける〃 と感じました。
周囲の人たちの強い勧めもあり、いつのまにか結婚してました。
卒論のおかげですよね(笑)。

 いろいろと生活の中で岐路に立つことってあるでしょ。
その時々の住職の判断、考え方を聞いてると立派だな、
この人と結婚して良かったと心から思えるんです。




『心の中におばあちゃん』


 実家にいた頃は、あまり家事をしたことがなかったので、
家事がこんなに大変なものだったなんて
知らなかったものですから、結婚生活に村して不安はなかったんです。
「あの、お米はどうやって研ぐのでしょうか」と、
お米のとぎ方から義母に習いました。
ただもうひたすら一所懸命で・・。
しゃぶしゃぶのカレーライスを作ったりして、主人と義母は
ひたすら耐えてくれていたのでしょうね(笑)。

 義母はスケールの大きな人で、"全てみ仏と共にある" という人でした。
最初の10年はおばあちゃんの考え方が理解できませんでした。
「何でこんなことをするんだろう?」と、腹が立つこともありました。

だけど、一緒に食事をし、料理をし、話をするうちにこういう価値判断をする人なんだな、
とだんだんと分かってきたんです。
それからは、義母を本当に心から尊敬するようになりました。
 弱者や因っている人に対していつも優しい人でした。
 私はというと、4人の子どもを抱え、一番下はまだ赤ん妨でおっぱいもあげなくてはならないし、
おむつは山のようにあって、お寺のことには、行き届かないことも多くありましたが、
義母がいつも助けて下さいました。

近所に刑務所があるので、子どもの遊び友達に、
お父さんが刑務所に入っている子供もいたんです。
私はいろいろ噂を聞いているから嫌だなあと敬遠する気持ちがありました。
それを義母に話しましたら、「そういう子ほど、あんたが導いて
いかなけりやならないんじやないかい」って言われました。

お寺に刑務所から出所した人がみえても、
「あんた一体どんな罪で捕まったんだい?」
「しっかり心を入れ替えておやんなさいよ」
とたじろぎもせず話をしていました。
義母のように、どのようなことにも動じることなく
対応していかなければならないと大きな貴任を感じています。 
こんなに良いお手本となるような義母に邂逅できて、私は幸せだと想っています。



『皆さんの心のオアシスに』

 ある檀家さんに、「住職もせっかく勉強しているんだから奥さんも何かやればいいのに」と
言われたのがきっかけで、『歎異抄に学ぶ会』を始めました。
 結婚を決めたきっかけのひとつに、この人と一緒にいたらさぞ勉強が
できるだろうと思っていたのに、実際は普通の夫婦と変わらない・・。
檀家さんは良い助言を下さったのです。
 私の出身の富山という土地は『真宗王国』とも呼ばれ、しょっちゅう
勉強会やら講演会があるのに、ここ上州にはあまりない。

その空しさはまるで、からっ風に私までが吹き飛ばされそうな感じでした。
今では群馬県内から毎回30人ぐらい集まり、もう9年続いてます。

月に一回第3土曜日の夜に開いてます。

「お金がないと出席できない勉強会はやらない」という住職の言葉通り、
お金は一切いただかずにやっております。

 義母が亡くなった時、この月はさすがに「今日だけは休ませて下さい」と
住職に頼んだんですけど、「どんなことがあっても絶対に休まない」と言う
住職の意気込みに負けて、心の痛みを必死に抑えて開いた日もありました。

 10年前の本堂の改築工事をきっかけに、寺報も発行するようになりました。
最初は工事経過を伝えるだけでしたが、だんだん檀家さんの心の苦しみを
聞いたりするうちに、これは皆さんに伝えたい、素敵な言葉を見つければ
その言葉も伝えたいと、文章を書くようになりました。

これからも、たくさんの届けたい想いを活字に託して作っていきたいと考えています。

浄土真宗 正覚山 清光寺
(坊守) 高橋 辰美



*********************** 記 ***********************



住職:高橋 審也

住所:〒371-0026 群馬県前橋市大手町1-4-16
電話:027-221-8282
住職:高橋 審也
電子メール:e-mail:

輝峰(きほう)代行


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                                                    以上


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