(『清光寺だより』は第1号から36号まであります。今回は36号です)
『清光寺だより』
平成10年8月13日発行
第36号
発行責任者
前橋市大手町1-4-16
浄土真宗本願寺派 清光寺
電話 027-221-8282
お盆を迎えて
住職 高橋 審也
今年は梅雨明け後もじめじめした(八月六日現在)、
うっとうしい日々が続いています。
また、それ以上にこの二三年間の経済の不景気や
異常事件の続発もまたなおさら、私達日本人の
心を落ちこませています。
いつになつたら、スカッとした空のような心になれるでしょうか。
しかし、このような逆境にあればこそ、今こそ私達が我が身を省みて、
本当に何を求めて行くべきを考えて見るよい機会ではないでしょうか。
そうでなければ、また、いずれ景気が回復すれば、
あのバブル期のような日本中が熱に浮かされたような
状態にもどってしまう可能性もあります。
そうなれば、すべてが元の木阿弥ということになりかねません。
人間というもの逆境にあればこそ、真実に
自己を知ることができるといわれます。
涙してパンをかじつた経験のないものには生きる
喜びは分からないといわれるゆえんです。
宗教の教える世界もまた人間の生きる苦しみの中に
あってこそ真実の喜びを見出す道だといえましょう。
バブルの崩壊より以降の逆境の中にあってこそ、
私達は改めて家庭や地域共同体など私達が捨てさりつつあったものが、
いかに大事なものか、私達にとってなくてはならないものだったかということを
再認識することが出来たのではないでしょうか。
人間にとって家族や仲間とともに健康で仲よく暮らしていける以上の幸せはないはずです。
しかし、熱に浮かれているような状態ではなかなかそのことに気がlつかないのです。
そのような人間にとって基本的な一番大事なものをも犠牲にしてまで、
自分の欲望を満たすことに狂奔してしまった結果が
今日の惨状を招いたのではないでしょうか。
それが子供にまで過重な負担をかけて、受験戦争の中でスポイルしてしまっています。
学校の荒廃なども、大人世界の欲望が子供の
世界をむしばんでいる典型的な例だと思います。
仏教はこの欲望を超えたところに真実の満足があると教えます。
お釈迦様が「私の教えは世の流れに逆らうものだ」といわれたのも、
まさにこのような、意味があったのです。
今年は、終戦から五十三年目を迎えますが、
戦争なども人間最大の愚行といえましょう。
ある日系カナダ人の方が第一次大戦のとき
フランスの西部戦線で参戦していました。
あるとき、真暗の濃霧の中からドイツ兵が現れて拳銃で襲って来ました。
すぐさま応戦して拳銃を奪いとってドイツ兵の右腕を傷つけようとすると
若い兵はよろめいて「ムッター」と叫んだのでした。
その「ムッター」がお母さんのことだと気づいた氏はその場
に立ちすくみ、日本にいる自分の母のことを思い出したのでした。
「ムツター」
は氏が知っている数少ないドイツ語であって、
他の国の言葉ではなくて人類共通の言葉だったのです。
このドイツ兵と氏とを育てた母の愛情、
そして育てられた二人のそれぞれの母への愛情が
このドイツ兵の命を救ったのでした。
母の愛情と子供の感謝の心が普遍的なものとして美しく花開いたのでした。
母子の愛情が無条件であるように阿弥陀如来の慈悲も無条件無差別なものです。
私達の願望や思いを超えて私達をつつみこんで下さるものです。
いつでも、どこでも仏様の慈悲とともに私達はあるというところから
真実に生き喜びもあると思います。
清光寺
これからの行事
八月十三日 うら盆会
九月十五日 常例法座
九月十九日 敷異抄に学ぶ会例会
九月廿六日 仏教婦人会例会
十月十六日 おみがき
十月十七日 歎異抄に学ぶ会例会
十月廿四日 報恩講法要
今月のことば
『 どこにも
生かされて
生きる道がある
人生に絶望なし 』
中村久子