輝峰(きほう)の
ブログ(Blog)的、一口メモ記録です。
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No.0028:2014 (H26) /02/19
「H26/2月の大雪」
2/8(土)と、2/14(金)に、大雪が2回も降りました。めずらしいことです。何十年ぶりとか。
2/15(土)15:42 の写真です。(Coolpix P310撮影)
2回目の、2/14朝から2/15の朝6時まで降った大雪で、とりあえず近所のみなさん、ガレージの屋根の上の雪だけを最優先に、2/14朝から2/15の15時までかけて何回かの除雪をしたあとの状態です。
家屋の大屋根の上の雪の量は、屋根の形状や、屋根の東西のどの方向に向いているかによって違うみたいです。南向きと東向きの屋根に雪が多い気がします
近所では8軒の家のガレージの屋根が雪の重みで壊れ、ガレージの下にあった車が壊れているとか、自治会の会長さんが言っていました。
自宅ガレージ(車2台分用)の仕様では積雪20センチになると除雪してくださいと警告のシールがガレージの柱に貼ってありました。
2/14は昼の12時と、夕方の18時にガレージの屋根だけの雪(積雪量20㎝~45㎝)の量を除雪してきました。2/14の夕方18時(ほぼ除雪し終わった状態)から、2/15の朝6時まで雪が降り続け、2/15朝起きてみると、ガレージの屋根には、もう、60㎝の積雪で、仕様の3倍の積雪量になっていました。慌てて、2/15の朝8時からすぐにガレージの屋根の上の雪だけを除雪開始してお昼の12時まで夫婦ふたりで除雪に4時間掛かりました。
最近、老夫婦とも運動不足を感じていましたが、2/8の大雪から2/19の本日まで、ほぼ毎日除雪作業が続いており、まるで、除雪で、連日10日間以上、筋トレをしているみたいです。筋肉痛の毎日です。(笑い)
皆さまのご自宅は今回の大雪では、大丈夫だったでしょうか。被害のないことをお祈りいたします。(追記:2014/02/19)
下記は、H26/2/19の自宅の近郊の写真:
2014/2/19-14:24。 Coolpix P310で撮影。
撮影地点は、自宅近郊、自宅最寄駅から新宿駅や横浜駅まで電車で各々約40分強の地点で、自宅から歩いて約3km先にある北里大学病院の本院とその隣にできた新棟(2014/6開院予定)のすぐ傍の雪が残っている道路に立って西側を見たときの写真です。写真の奥手に丹沢の山々が見えます。まだまだ、未踏の雪がずいぶん残っていますね。(追記:2014/02/21)
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No.0027:2011/07/05
「泥中の蓮」
(でいちゅうのはす、はちす)
-- 箱根 湿生花園の「睡蓮」(すいれん) --
箱根 湿生花園の睡蓮。D200+DX18-70/3.5-4.5G、2011/6/28撮影。
ISO100、露出はプログラムオート、マルチパターン測光、 1/350秒、F10、露出補正 -1.7EV
卒業後44年経った友人二人と三人で箱根へ先週行きました。関西に住む今回幹事役の友人の、バス経路の選択間違いのおかげで、図らずも、遭遇した箱根湿生花園。ここは、皇族のいろいろな方々が幾度か来られている有名なところらしいです。あとで聞くと女房殿も何度か行っているみたいです。湿生花園のなかでは、特にこの花に興味があります。見たいと思っていた花です。しかし花を撮るのは難しい。墨絵をしている女房殿には構図、アングルなど、私は相当水をあけられていると悔しいが常日頃感じています。多分それは花に対する愛着の念の違いと思われます。まだまだ私にとって花の撮影は鬼門です。でもこの睡蓮の花には本当に気を惹かれます。むしろ蓮(はす)よりも睡蓮(すいれん)にです。
インドでは「蓮」(はす)も「睡蓮」(すいれん)も、釈尊の当時以前から、両方あったとか。
ウィキペディア(ハス)
(2011/07/05-11:55am時点)の「宗教とハス」の「仏教」の段を引用すると、「仏教国チベットでは標高が高く生育しないため、想像でかかれたのかチベット仏教寺院では日本に比べ、かなり変形し、その絵はほんのり赤みがかった白い花として描かれている。 ただし、仏教でいう「蓮」(はす)は、本来は「睡蓮」(すいれん)のことである。」とか。
上記、現時点での『ウィキペディア(ハス)』では、「仏教でいう「蓮」は、本来は「睡蓮」のことである。」と断定的な表現をされていますが、私には悩ましい問題です。仏教の経典で言う「蓮華」(れんげ)が「蓮」(はす)なのか「睡蓮」(すいれん)なのか、もし、地理的(インド、チベット、中国)や、時代的(サンスクリット語仏典からの漢訳時期など)な背景のもと、蓮華や華ということばの表現のなかに、実際の蓮と睡蓮が、混用されているとしたら、その経緯など、いろいろ出拠(しゅっこ)を自分なりに調べてみようとしましたが、残念ながら、私には現在、確信を持てる、出拠、出典が見つからず、わかっていません。
辞書(中村元著『佛教語大辞典 縮刷版』東京書籍、「書籍」のNo.55、「蓮華」の項。 p.1439)では「白い蓮」(サンスクリット語のプンダリーカ、芬陀利、白蓮華(びゃくれんげ))、の記述があり、インドでは、最高の美しい花とされています。
「蓮」(はす)はしばしば見てきているので最近では、「蓮」ではない、美しい白い「睡蓮」(すいれん)に逢いたいなあと思っていた矢先、私は、たまたま、いろいろなご縁により、ここの「睡蓮(すいれん)」に出遭えました。ありがたいことです。
一方、経典に出てくる、「蓮華」(れんげ)という言葉に関しては、いろいろな経典に、いろいろな形でたくさん出てきていますが、ここでは、著名な経典のひとつ、俗称『維摩経』(ゆいまきょう)、別称『淨名經』(じょうみょうきょう)、正式名『維摩詰所説經』、鳩摩羅什譯、「大正蔵」14巻 「何等爲如來種」-pp.549a28-549b09。(当サイトでは「大正蔵の欲しい一経典だけを全ページダウンロードする方法」の最下段の方に『維摩詰所説經』のURLを記載。ご参考まで)に、蓮華についての、現在、著名なことばになっている部分の記載がありますのでそれを見てみます。
その記載を引用しますと、「於是維摩詰問文殊師利。何等爲如來種。文殊師利言。・・・・・・・・答曰。若見無爲入正位者。不能復發阿耨多羅三藐三菩提心。譬如高原陸地不生蓮華、卑濕淤泥乃生此華。如是見無爲法入正位者。終不復能生於佛法。煩惱泥中乃有衆生起佛法耳」。
日本語に書き下しますと、「ここにおいて、維摩詰は文殊師利に問えり。「何等をか如來の種と爲すや」。・・・・・・・・(文殊師利)答えて曰(いわ)く。「もし無為(むい)を見て正位に入れる者は、復(ま)た、阿耨多羅三藐三菩提に心を發すこと能(あた)わず。譬(たと)えば、高原の陸地は蓮華を生ぜず、卑濕(ひしつ)の淤泥(おでい)は、すなはちこの華を生ずるがごとし。是の如く無為法を見て正位に入れる者は、終(つい)にまた能く仏法を生ぜず。煩悩の泥中に乃(すなわ)ち、衆生ありて仏法を起こす耳(のみ)」。となります。
ここから以下は、輝峰の解釈です。主人公の維摩詰(ゆいまきつ)が文殊師利(文殊菩薩)に、「如來の種」(如來(仏)に成れる因(もと))とは何であるか、と問います。それに答えて、文殊師利は、「無為(むい)(無為とは涅槃(ねはん)で、涅槃(:さとり)に入れば最早煩悩は全くないので、菩薩のように衆生の間に生を受けることもできない)を見て、正位(しょうい:正しいあり方(涅槃を得る資格を有する)に入れる者は、もう阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼうだい:最高のさとり)を得ようとこころを發すことはできない。たとえば、高原(美しい高原の花の咲く)陸地では蓮華は生じません。泥水のなかでこそ、このもっとも綺麗な仏のごとき蓮華の華を生じるのです。」と答えています。言い換えると、仏教語の「無為」(むい)の世界(因果の法、とか、縁起の法、が成り立つ我々が立っているこの世界を、超越した、つまり、因果による生滅の無い世界、すなわち眞如の世界)、に「如來の種」があるのではなく、「有為」(うい)の世界、つまり、このわれわれが立っている濁世(じょくせ)の、煩悩が渦巻いている、泥中(でいちゅう)のなかの世界)にこそ、「如來の種」があるのです。」と答えています。つまり、「如來の種」は「無為」(むい)のなかには存在せず、「有為」(うい)のなかにあります。と。
有名なことば、「泥中の蓮」(でいちゅうのはす、はちす:『維摩経』)ですね。
蓮が好きか、睡蓮が好きか、ひとそれぞれでしょうが、個人的には、写真を撮ってきた感じで、私は、「蓮」(はす)よりも、「睡蓮」(すいれん)に、こころを惹かれています。
註-1:web「熱帯スイレン 水槽開花への道」の左欄下方の「仏教の蓮華」(ご参考)大谷大学のコメントがあります。
註-2:蓮と睡蓮との違い:web上の 「蓮文化研究会」、の上段、「蓮Q&A」のページの「Aグループ」 -005 「蓮と睡蓮はどうちがう?」、ご参考までに。
註-3:「蓮」(はす)の華の写真のひとつは、このブログの下方の二つ目に、東京都町田市薬師池の蓮(大賀ハス)の写真を載せています。ご参考までに。
みなさまは、蓮(はす)と、睡蓮(すいれん)とでは、どちらがお好きでしょうか。
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No.0026:2010/09/16
「樒(しきみ)の葉で雨宿り中の2匹2様」
(D200+Ais 55/2.8S : 2010/09/16-午前9時撮影)
ようやく涼しくなってきた、今朝の小雨の中、庭に出てみると、樒(しきみ、しきび)の、
- 1)中央右手:横になっている葉の裏に、白っぽい「蛾(ガ)」?
- 2)中央左手:垂直に立った葉の上に、バッタ?
が止まっていました。
二匹二様の方法で、雨に身体が濡れないように、工夫して雨宿りをしているように感じられました。
それでもよく見ると、それぞれが少し濡れています。かわいそうですね。
樒(しきみ)は、日本では宗派によっては、仏花のひとつに、また、食べると有毒な花のひとつに、また、抹香、線香などの香りの材料のひとつに、また、仏花としては、時代の差、地域、国ごとの差、文化の差、宗派の差などいろいろありそうです。難しいものですね。
(浄土真宗お西では)、松・檜などの青木を捌真(さばきしん)にして色物の花などを挿す大きな花瓶(かひん)とは別に、仏前に花などを供えて荘厳(しょうごん)する供華(くげ)のひとつに、お仏壇の中の一番上の段の須弥壇(しゅみだん)の上卓(うわじょく)に、(高さが7センチくらいの)小さな左右にあるふたつの華瓶(けびょう)に、樒(しきみ)を挿す。が、樒(しきみ)がないときは、青木を挿す。とのこと。(主意:『得度習礼教本』本願寺得度習礼所H15.4.1-p.81)
それで、2~3枚の小さな葉がついた樒の10センチくらいの小枝の2本をそれぞれの小さな華瓶(けびょう)に挿すために、庭に、樒(しきみ)の若木を1本買ってきて植えてみました。
が、もし木が大きく成長してそして花が咲き実が成って猛毒と言われているその「しきみの実」(「毒物及び劇物取締法、(略)毒劇法,毒劇物取締法」-「劇物-第二条-法別表第2第94号の規定に基づき、次に掲げる物を劇物に指定する」-の第39項(しきみの実))に指定されている)を近所の小さい子供さんが食べたらどうすの?と、庭の花を管理する女房殿から非難されています。
当然の事、植えるなら法律を知った上で管理していかねばなりません。私がきちんと管理できればいいのですが。
No.0023:2010/04/07
仏教関係 「修士論文」 修了!
季節は巡る。散りかけた小雨の中の桜並木
Coolpix P5000 2010/4/12
この一年間、朝昼夕と頭から離れなかった、仏教関係の、修士論文。
中国天台における性惡思想についての一考察、、、、
関係する膨大な、経典、論藏、先行研究論文、、、の調査、、、
ほとんど、お仏壇の横の座卓の周りに、ひとつが数百ページある、100冊近くの、経典、論藏、先行研究論文、を調査研究する毎日、、、
体力と、気力と、智慧と、、、自己にとっての総力戦、、
大変でした。本当に、、、、
執筆、、、、かなり多くは、中國繁体字漢文、日本語文語体の書き下ろし、の論文、、、、
パソコンでマイクロソフトのOffice WordでA4横の用紙に、縦書き、返り点、旧送り仮名、、
そのWord文章の論文を一旦閉じて、再度開くのに、4分かかる、、、Office Word2007年版、、
2002年夏モデルのパソコン(CPU:1.8GHz、メモリ:1GB)の上で、、。 PCも性能限界、、
やっと、修士論文、提出、口頭諮問、公聴会発表、、、合格、しました。、、
合格したからと言ってどう社会的に成果を活用するという予定もありません。
ただ自分の好きな道、生涯学習としての勉強の道だけです。
学解(がくげ)と体解(たいげ)を求めて、、、
晴れて四月より、開放されて自由な身になれました。
論文ができるまでは、外出も、懇親会なども、世間の義理をほとんど欠きました。
これも、人生の一里塚、、、前期高齢者(65歳~)の青春、、、
この春、4月から、わが身は、自由だあ~、、、万歳!!(笑い)
修士論文修了後の約二カ月間は、これからの、我が残された命、寿命、日々生活を、どう、生きるか、がどんどん気になりはじめ、暗中模索、の状況、、、です。
大事な問題です。私にとって。
中國天台、智顗(ちぎ)、湛然(たんねん)、知禮(ちれい)、傳燈(でんとう)、、、
論文修了後、また最近読み始めた、親鸞聖人:「顕浄土真実教行証文類」、等々、気になっていた蓮如上人:「後生の一大事」。
自分に問うのは、
「生きる覚悟ができていますか」。
「なぜ、生きる」、、、等々、、
(論文修了後の最近の、「
書籍」:No.126、~、など、ご参考)
これからも、いろいろなことを勉強していきましょう、、、
南無阿弥陀佛、合掌
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No.0022:2009/06/09
「すかしゆり」
「すかしゆり」 2009/6/9 撮影 D200+Ais105/2.5S+ホワイト・バランス・フィルタ(WB_F) ”expo disc”
(久しぶりにニコン旧マニュアルレンズのAis105/2.5Sで撮りました。)
ふと見ると我が家の庭に咲いていました。
綺麗ですね。
ほっとさせてくれます。
女房殿がいつか花屋さんで球根を買ってきて植えたものらしいです。
良く見ると庭のこの花の傍に、2匹の小さなヤモリが居るのを最近見かけます。
生きとし生けるものすべてに乾杯です。 合掌。
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閑話: 「すかしゆり」をwebで検索してみますと、
富士山の麓 関東最大級のゆり園 ふじてんリゾート リリーパーク
の、ゆり小図鑑
「
すかしゆり系」
が出てきました。中を拝見しますと、「すかしゆり」と言ってもたくさんの種類があるのですね。
庭に咲いたこの花は、「すかしゆり」の中の、何になるのでしょうね。
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撮った「すかしゆり」の花の自家プリントした写真を愛(め)でながら、大好きな会津の日本酒、末廣酒造のお酒、「末廣」(すえひろ)を常温で飲んでいます。
酒を飲みながら、中国天台法華の「智顗」(ちぎ)(538-597)撰の『法華玄義』(「妙法蓮華經玄義」大正大藏經:漢文、B5版 134ページ)と、『
法華玄義』(上・中・下) 菅野博史訳注 の本とを突合しながら読んでいます。
智顗さんの内容も難しい!
淨影寺(じょうようじ)慧遠(えおん)の『大乗義章』(だいじょうぎしょう)と、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)伝の『大乗起信論』(だいじょうきしんろん)(輝峰(きほう)のHP、右上「
書籍」(No.87-93))を捲りながらの突合です。
四ヶ月で仏教の専門書20冊を読む合間に、第140回直木賞 『悼む人』(いたむひと)天童荒太、を読み終えました。
仏教的見地からみると、この『悼む人』の本の感想は?(わかりません。ひとそれぞれですね)
なにはともあれ、私にとって、会津末廣酒造の日本酒 「末廣」は美味い! 乾杯です。
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No.0021:2009/02/26
ウンナンサクラソウ:
雲南桜草
小雨の中の庭の片隅(左中央)の雲南桜草
(2009/2/23-D200+Ais55/2.8S、
ホワイト・バランス・フィルタ(WB_F):”expo disc”、+Photoshop_CS)
その雲南桜草
(2009/2/26-D200+Ais55/2.8S、 +WB_F "expo_disc、+Photoshop_CS)
女房殿が花を買ってきて植えました。「雲南桜草」(うんなん さくらそう)。
知りませんでした。
桜草の一種と聞いて少し変わった桜草だなあと感じました。
可愛らしくて綺麗ですね。
桜草は、毎日、その姿が変わっています。
そして、私は毎日少しずつ撮っています。
「生きとし生けるもの」(聚生(しゅじょう)、有情(うじょう))同士、あたかも、我が「生」と同じく、その「生」を互いに愛(いと)しむように。
webで調べますと、
****↓引用 ************
ウンナンサクラソウ
(雲南桜草)
Primula filchnerae
サクラソウ科 耐寒性多年草 原産地 中国南西部
2~3年前ぐらいから早春の鉢花として流通。
マラコイデスに似た姿で、繊細な葉の茂みから花茎を伸ばし、そこに軽い芳香がある小さな花を群れ咲かせる。
寒さには強い種類だが、逆に夏の高温多湿が苦手。
花後は梅雨の雨に当てず、風通しの良い半日陰で管理する要あり。
冬季の水やりも表土が乾いてから。
****↑引用 ************
とのことみたいです。
また、「去年初めて育てて見たが、残念ながら夏越しできなかった。・・・・」
との方も、いらっしゃいました。
中国雲南省と日本では夏の環境が違うので、この花にとっては、夏越しが難しいということと思います。
夏は「地植え」(じうえ)のままではまずいみたいです。
ひと(私、女房殿など)、花(雲南桜草など)、犬猫(家猫ハッピーなど)、互いにこころを通じ合いたいですね。
山川草木、一切衆生悉有仏性(さんせんそうもく、いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) 、
一即一切(いちそくいっさい)、一切即一(いっさいそくいち)。
事事無礙法界(じじむげほっかい)、
雲南桜草さん、遠いところから、我が家に、ようこそ、ようこそ、ご縁です。
南無阿弥陀仏、合掌。
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No.0020:2009/01/18
家の門番と、台所でスリッパを履く、家猫ハッピー
目の開かないときから哺乳瓶で人間の中で育った家猫ハッピー(8歳雄猫)は、話すことはできなくても、自分が何をしたいのか、何を言いたいのか、家人に意思をはっきりと伝えてくれます。
護法神 増長天 ? ハッピー (D200 + DX18-70/3.5-4.5G)
(D200+Ais55/2.8S)
インド古代であるサンスクリット語の、「 sattva 」 (サットバ)は、中国の漢訳では、「聚生」 (しゅじょう、生きとし生ける者。旧訳(くやく))、とか、「有情」 (うじょう、感情や意識、こころの有るもの。 草木、山河は、非情、無情。新訳(しんやく))、とか、訳されています。(『佛教語大辞典』、縮刷版、中村元、東京書籍 P84上段)。
そうすると、輝峰(きほう)と、ハッピーはともに有情(うじょう)ですね。
お互いに、「法」(真理、教え)を学びましょうね、ハッピー。
****↓引用 ************
「帰敬文」(ききょうもん): 「三帰依文」(さんきえもん):
人身(にんしん)受け難し、今已(すで)に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
此身(このみ)今生(こんじょう)に向かって度せずんば、
更に何(いずれ)の生(しょう)に向かってか此身を度せん。
大衆(だいしゅ)もろともに、至心(ししん)に
三宝(さんぽう、仏・法・僧)に、帰依し奉るべし。
(『佛教聖典』、増補版、東京大學佛教青年會編集、三省堂。P1)
(ご参考:「全日本仏教教会、三帰依文ページ。)
****↑引用 ************
ハッピー曰く、「同じ有情でも、我輩は猫である。貴殿は人間である。」と。
このことをハッピーを通じて教えられました。
受け難き人身(にんしん)を、今、已(すで)に受けている、この身、輝峰(きほう)自身、己(おのれ)のことを深く深く見つめましょうぞ。この身は、罪悪深重、煩悩熾盛の凡夫、弥陀の本願力、他力に憑(たの)むしか掬(すく)われないこの身、「無疑無慮乗彼願力」、
南無阿弥陀仏、合掌
ハッピーは私にとって菩薩であります。
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No.0019 :2008/09/15
よく降りますねえ:
Coolpix P5000、ISO1600、1/103.5秒 - F5.3、 焦点距離 26.3mm 露出補正無し、フラッシュ無し
Coolpix P5000、ISO1600、1/80秒 - F5.3、 焦点距離 26.3mm 露出補正無し、フラッシュ無し。
よく降りますねえ、、、、 最近、女房殿の、尊敬する、墨絵と、人生の、最大の師匠が亡くなりました。享年77歳。 慌しく、通夜、葬儀、、、、 それでも、娑婆の世界は何事もなく、過ぎてゆく。 諸行無常、、、、 南無阿弥陀佛、合掌
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No.0018:2008/08/23
47年ぶり再会した友人の初盆:
一昨年、このページの一番下あたりに
No.0002: 2006/12/9
「 47年ぶりの同窓会: 」
を記しました。
そのとき会った全部で4人のうち、一人が昨年秋に亡くなっていることを知りました。
故人の初盆に、残ったクラスの3人がお焼香に兵庫県三木市まで行きました。享年62歳。
D200+DX18-70/3.5-4.5G で撮影
定年後、すぐに、ガンが発見され、亡くなるまでの2年間に、宇宙、自然、ひと、および、ご自分の、「生死(しょうじ)」について真剣に学ばれていることを、奥様に、ご本人が読まれて遺された沢山のそれについての書籍を見せていただいたとき、瞬間にわかりました。
「後生の一大事」との蓮如上人の少し強調しすぎる御文章に時代が違うのではと、内心思っていましたが、このときは、さすがに、重く感じました。
南無阿弥陀仏、 合掌
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無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
(「親鸞」正像末和讃-36)
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No.0017:2008/07/19
サンスクリット語の勉強
Coolpix 5700で撮影
D200+DX18-70/3.5-4.5G(写真電球2灯+内蔵フラッシュ)
古代インド語、サンスクリット語の受講は初めてです。(「サンスクリット語で読む『仏説阿弥陀経』(小経)」)。
サンスクリット語は難しいですが、楽しいです。
サンスクリット語でも経典が読めるようになるのが長年の夢でした。
思い切って必要な辞書を買いました。
⇒ 輝峰(きほう)の推薦書籍リスト 「書籍」 (上図の写真、左から順に、#55,#48,#56の書籍) ご参照
サンスクリット語では同じ単語なのに、経典の漢訳者によっては、違う漢訳語(『法華経』の「妙法」、『勝鬘経』の「正法」など)になっている場合などにも理解に役立ちそうです。
経典(漢訳、及び、サンスクリット語原典)、を読もうと努力すれば、読める環境がこれで一応揃いました。
あとは、努力次第ですね。(笑い)
定年になって自由な時間ができて本当に幸せです。女房殿に感謝。
ご縁のあるがまま、あるがまま、、、、、合掌
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No.0016: 2008/04/12
春の庭 キンセンカ (金盞花)
D200+DC105/2.0D f10.0 1/350s ISO400 157mm相当 最短撮影距離 0.9m
被写界深度2cm MF撮影。 DC105mmのDefocus Image Control値 は0。
スポット測光、Pモード。露出補正なし。
朝起きて庭を見ると光と花が綺麗で写真を撮ってみる気になりました。
レンズは何にしょうかしらと考える間もなく、ニコン大口径単焦点中望遠レンズ「DC105/2.0D」 を手に持っていました。
不断のレンズDX18-70/3.5-4.5Gをはずし、通常のマイクロレンズ(Ais55/2.8S)は止めて今日は望遠レンズでと、一瞬に判断したのでしょうね。
最短距離で、相当絞って撮っても被写界深度は 2cm !!
(HPのtop-pageの下の方の「被写界深度」の表を、ご参照)
最初Pモード(プロブラムAEモード)で撮りましたが、すばらしい絞り選択ですね。ニコンさんは。
シャッター半押しでファインダを見ると、f10.0。
これは絞り過ぎかとも思ったのですが、これで丁度いいのですね。
露出も私の思い通りです。
このカメラとレンズ組合せで沢山の花を今日は撮りました。
途中からA(絞り優先)モードに直しましたが。
結構、花の写真は難しいです。私には。(笑い)
この時期、朝は9:00頃までに、夕方は16:00頃までに撮らないと光が期待通りになっていません。
写真生活は本当に楽しいですね。
生きとし生けるものにとっての、毎日の時間の進み方は、人も花も昆虫も、それぞれですね。
それぞれの中にあっても、
****↓引用 ************
「池中蓮華 大如車輪。青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光。 微妙高潔。」
『仏説阿弥陀経』 (『真宗聖教全書』、第一巻、 P68L3)
(「池の中の蓮華、大きさ車輪の如し。
青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、 赤き色には赤き光、 白き色には白き光あり。
微妙高潔なり。」)
****↑引用 ************
一般的なこの世の生活に使うならば、
それぞれが、それぞれの個性があって、それぞれが光輝いている。すばらしい世界。
というような感じになるのでしょうか。
いつも庭の花の世話をしてくれている女房殿に感謝。合掌。
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No.0015:2007/12/17
家猫ハッピー、人生で初めてライオンを見る
撮影 D200+DX18-70/3.5-4.5G、 1/60秒、F4.0、 ISO1,250、 27mm相当、ノーフラッシュ
目の見えない赤ちゃんのときから、家人に哺乳瓶で育てられた家猫ハッピー。
自分は人間と思い込み、自分の意志をはっきり伝えて、家人を指図することが最近多くなりました。
その家猫ハッピーが、テレビをハイビジョンに変えてからTVに関心を示し、興味を覚えるものには、身を乗り出して見るようになりました。
NHKの探検隊が長期間かけて取材していた野生の動物記録の一場面。
哲学者(哲学猫?)ハッピーがどういう気持ちで見ているのか、 私の方が興味を覚えました。
衣食住付き、水と安全はあたりまえと思っている日本人家人との同居の故による先入観の打破、、、、
諸法実相(しょほうじっそう)を垣間見る一瞬でありました。
南無阿弥陀仏、合掌
閑話:
昨日、近傍の本屋さんから、
1) 岩波文庫、『法華経』(上、中、下巻)坂本幸夫、岩本裕
を、買いました。
一方、一昨日、某大学図書館で借りてきた、
2) 『縁起の思想』(えんぎのしそう) 三枝充悳 法藏館、
の本を、ハッピーの居る部屋の後ろの部屋の座卓で日本酒で一杯やりながら、この本を読んでいる最中に、このハッピーの写真を撮りました。傍らに、以前買っていた、
3) 『ブッダのことば』(スッタニパータ)中村元 岩波文庫
4) 『法句経』(ダンマパダ)友松圓諦 講談社学術文庫、
の本を、参照しながらの読書。
「縁起」(えんぎ)は難しいです、、、、、とほほ、、、
初期仏教、部派仏教、大乗仏教、の中でのお話。今は初期仏教での話し。
いつもは、「ご縁、ご縁」、と言いながらも、「縁」(えん)ということばは、本当は難しいことば、、、
いつも気楽に言っている、「南無阿弥陀仏」ということばも、しかり、、、、
難しくて奥が深いことば、、、
合掌
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No.0014:2007/08/21、 08/24補記
父母の古時計
私が物心が付いた頃から当時の関西の自宅にあった柱時計です。
時計の銘板には、「 Meiji 」 と書いてあります。
約25~30年前の父の死後以降、この柱時計は、関西の旧家から、関東の私の現自宅に引っ越ししました。
それ以降、何も考えずに、2~3年ごとに、柱時計の整備を、地元の古い時計店にお願いしていました。
完全分解整備らしいです。
職人さんは気合いを入れても、7日以上かかるそうです。
部品交換時、部品調達も難しいなか、苦心して調達していたらしいです。
先日、その時計店の方から、『現在のうちの店の時計工の職人さんが老齢と病気で倒れ、従来通りの整備が技術的にできなくなりました。
とりあえず、その職人の師匠であった、さらに高齢の職人さんに、今回はお願いすることにしましたが、これから先はうちの店では整備は難しくなると思います。
また、今回は従来の整備費用では整備不可能です。
うちの店の利益はゼロでいいと思っていますが、従来の2倍以上の費用が掛かります。それでもいいですか。』との談。
撮影 2007/8/20-D200+ニコン35/2.0D+SB-800
我曰く、『いいです。お願いします。』と、泣く泣く私の答弁。
女房殿曰く、
『形有る物は必ず、壊れる。仏教でそう言っているのでしょう。いくら親の形見といっても、それにあまりに囚われたらいけないのではないでしょうか』 との談。
知っているかぎり、私とほぼ同年齢かも知れない柱時計。
私が赤ちゃんのときに、空襲があり、母に背負われていて、私の1mそばに焼夷弾が落ちてきたとか、まかり間違ったら私は死んでいたとか、生前、母から聞いたことがあります。
一方、その後、私は、関西から東北へ疎開していたそうです。
父の妹である叔母が、戦争当時、病気療養していた父の見舞いに、たまたま父の家を訪問していたときに、空襲に遇い、周りが火の海で、当時、叔母が一緒に連れてきた叔母の長男と、父と、お仏壇のなかの過去帳だけをもって、
かろうじて、空襲から逃れたと教えてくれました。
住んでいた家が空襲で焼けて、その焼けた家にこの時計があって焼け残ったのかどうか。
または、疎開から帰ってきてからこの時計を新たに買い求めたのかも知れません。
戦争当時のことは、いろいろよく分りません。
両親が生きている間にこの時計の買った経緯などを聞くのを忘れていました。
いまは、もう聞けません。
ついつい、「自分の寿命、余命」と、この「形見の柱時計の寿命、余命」とを、なぜか、私の頭のなかで、同一視してしまっています。
日を追うごとにこの時計への愛着が湧いてきます。
これも、私の「我執」でしょうか?
釈迦の教えから言うと、「縁起の法則」、「業因業果」に反するものは、「迷信俗信」の類であり、切捨てられるべきもの。
釈迦三法印、「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」、ですね。
45年前の、大学受験の前日の夜、私が眠るのに時刻を気にしないようにと、黙って、この柱時計の振り子を停めていてくれた母親の気遣いのことを思い出していました。
今までの、古い柱時計の、時を告げる「木箱の中の、ぜんまいの音」ではなく、女房殿の、無理しない、あるがまま論では、古い柱時計の1回の整備費よりも、買った方が安い、いつかは、現代方式の、時を告げる電子音の、新しい柱時計に取って代わられるのでしょうか。
南無阿弥陀仏、 合掌。
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No.0013:2007/08/20
篠田節子著 『ゴサインタン ー 神の座 ー 』
(第10回山本周五郎賞受賞作) 読書感
写真大先輩の「SA55さん」から、悩みながらも写真道へ進む私へのアドバイスとして、「さらなる飛躍と解脱の境地のために」、と、
1.篠田節子の「ゴサインタン」を読む。
ことを薦められました。
すぐに図書館で、文藝春秋の文庫本の同本(p655)借りて一気に読みました。
筆者の篠田節子は仏教にも造詣が深いと感じられました。
ストーリは、
「豪農の跡取り、結木輝和はネパール人のカルバナと結婚したが、両親が相次いで死に、妻の奇異な行動で全財産を失う。怒り、悲しみ、恐れ、絶望・・・揺れ動き、さまよいながら、失踪した妻を探して辿り着いた場所は神の山ゴサインタンの麓でだった。現代人の根源にある、
魂の再生を力強く描く第10回山本周五郎賞受賞作。解説・吉野仁」
全てを失い、自らの求めるものを追い、最後に死を決して、やっと見つけた妻を、日本に連れ戻すことではなく、妻が居たその地に自らが死ぬまで妻とともに過ごすことを決意。
これを読んで、3つのことを、思い当たりました。
1.仏教の空也上人の、「身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」:
「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」
空也上人絵詞伝の句で命を捨てる覚悟ができれば急流でも身体が浮かぶもの。
一身を犠牲にする覚悟があって初めて、活路を見出し、ものごとを成し遂げることが出来るという。
2.仏教の善導大師の、「三定死」(さんじょうし)、
「釈迦の発遣、弥陀の招喚」(しゃかのはっけん、みだのしょうかん):
善導大師 『観経四帖疏 散善義』 「二河白道」(にがびゃくどう)の比喩:
後ろ(東)に、群賊悪獣、前には、南に火炎の火の河、北に波浪の水の河、真ん中に、西へ向かう細い幅四五寸しかないの白道、「回(まわ)らば死、住(とどま)らば死、去(ゆ)かば死」、の「三定死」。
絶体絶命の境地。釈迦は発遣して西(お浄土)へ向かうことを指(おし)へ、
弥陀は、(すべてのはからいを捨てて)、招喚して私(西、お浄土)のところへ来たれと宣(のたま)う。
3.旧約聖書 『ヨブ記』
聖書 新共同訳 ー旧約聖書続編付き。(財)日本聖書協会。p897-p964
裕福で幸せだった敬虔な信徒、ヨブが、サタンにより財産、家族、全てを失ない、自己の身体まで病苦に苛まれる。
ヨブは、神に自己のとってきた行為の正しいことを自己主張するが、最後は、万能の神にすべてを委ねる。
いろいろな事が頭のなかで輻輳してきました。
写真道を極めることも、仏道を極めるがごとく大変ですね。
合掌
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No.0012:2007/06/20
エジプト・トルコ13日間の海外ツアーに夫婦で行ってきました。
トルコ・イスタンブルの街中。(Coolpix 5700撮影、サイズ縮小以外無修正)。
最初、気づかれないように、邪魔しないように、夢中に遊んでいる姿を、そっと、銀塩リバーサルフィルムで撮っていたのですが、 遊んでいたこどもたちが、私の姿を見ると『撮って、撮って!』と寄って来ました。
そして、『撮ったのを見せて』と言われて慌てて、Coolpix 5700で撮り直し、この写真を見せたら喜んでくれました。言葉はわかりませんが、しぐさで理解できました。
こどもたちは可愛いですね。
私の定年前後から8年間、年一回の夫婦海外旅行ツアー参加です。8回目。
行く日時、行き先、期間、予算額、すべて、旅行中に還暦となった、仕事?趣味?現役の女房殿が企画してくれています。
ありがたいことに、習慣で、私の衣類関係も一切用意してくれています。
私は好きなカメラ、レンズ、フィルムなどを持って付いていくだけです。
牛に引かれて善光寺参りであります。
今までは、主体は欧州。今回は、初めての中東。
エジプト⇒トルコ⇒エジプト の行程。
バス走行全行程 2000km! 列車泊1回。
しかし、の、かかし、
「暑さ」と、「水あたり」に負けました。
水には、用心していたのですが、下痢は夫婦とも帰国直前まで続きました。
トルコもエジプトもトイレでまいりました。
トイレの有料のところが大多数、紙も無いところも多く、その上、便器は汚い。
初日ピラミッドの前に到着すると、突然眼前に砂の竜巻が発生!
初めて見ました。
慌てて、大事なカメラを服の内側に隠しました。
以下はカメラ関係です。興味の無い方は読み飛ばし下さいませ。
*********カメラ関係始め ↓***************
・リバーサルフィルム53本(プロビア100Fx24本、 とプロビア400X x29本)、 ネガカラー20本、合計73本持参。
・デジ一眼の、「D200レンズキット」は、持参せず、今回も防湿庫でお留守番でした。
銀塩とデジ一眼では重すぎて、腰を壊してしまいそうなので。
・実際の撮影は、リバーサルフィルム、30本、ネガカラーフィルム、1本でした。
・持参したカメラ、レンズは、人物スナップ用に、単焦点レンズ主体に、レンズ交換無いように、
・F6+50/1.4D+プロビア100F、
・F70D+DC105/2.0D+プロビア400X、
・GR1v+28/2.8+ベルビア100、プロビア400X、
・予備機:NewFM2+Ais_50/1.8S(パンケーキ、国内版型)
・実際に撮ったのは、
・F6では9本、
・F70Dは2本、
・GRは12本、
・NewFM2は8本、(内ネガカラー1本含む)
・結果的に、
F6+50/1.4DとGR1v+28/2.8 だけで充分でしたが、エジプト、トルコの「暑さ」と、「水あたり」のひどさに負けて、 「体力消耗」し、「写欲萎え」たために、予定の
●F6+50/1.4D、F70D+DC10/2.0D、GR1v+28/2.8、
が大きくて重いので、 その代わりに、予備機だった、小さくて、軽い、
●NewFM2+Ais_50/1.8Sと、GR1v+28/2.8、+リバーサルフィルム
だけの組合せに途中から代わりました。
老化現象でしょうか。
・身体の故障がなければ、F6主体で撮っていたと今でも、思っております。
女房殿は、Coolpix P5000と、Coolpix 5700を持参。使ったのはCoolpix P5000のみで、1,337 ショットを撮りました。
そのうち、約600枚を選びました。近々、RDP屋さんに焼きに出す予定です。
私は、デジカメでは、女房殿から旅行中使っていないCoolpix 5700を借りて、女房殿や、ツアーの方々や、食事など、メモ撮り用に、386 ショット撮りました。
********カメラ関係終わり ↑****************
海外ツアーの大半は、「観光名所」以外に、「土産物店」に強制的に連れていくことです。
この写真は、添乗員に了解を得て、私だけ土産物店に入らずに、ツアーの団体行動からはずれて、ひとり街中に7つのかどを回っている内にこの子供達に遭遇しました。
私は、「観光」よりも「土産物」よりも、行った土地での、実際に生活しているひとびとの生活感を撮りたいのです。
ようやく、自分の撮りたいものが分ってきた感じです。
しかし、一人では海外に行けない、言葉もわからない、とほほ。です。
女房殿は海外旅行では、世界遺産を楽しみながら、仕事?趣味?の墨絵の素材、モチーフの研究を兼ねているみたいです。
一方、夫婦に残されたわずかな人生、このような数少ない機会で、女房殿との連携の、「やじきた道中」も楽しいです。
ツアー参加の方々も私たちが最年少組くらいの、定年ご夫婦が大半でした。
いい人達にも恵まれました。
南無阿弥陀仏、 合掌
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No.0011:2007/04/06
相模原の街路樹 桜並木:
今年も綺麗に咲いてくれました。
右端に自転車の中学生、のどかな昼下がりです。新学年が始まります。桜吹雪がもうすぐ始まります。
家の近くの方々もこの30年の間に三分の一弱が亡くなりました。
諸行無常ですね。
私は後何回元気で春の桜を迎えることが出来るでしょうね。
「今日」を「精一杯」生きましょう。
先日、図書館から借りていた本、やはり読み切れなかった本、
・『中論提唱』(西嶋和夫)4分冊、
・『ナーガールジュナ』(中村元)、
・『般若心経・金剛般若経』(中村元)など計6冊、
を返却に行き、代わりに、ライカ使いの神様、
・『木村伊兵衛の眼(レンズ)』 ¥1600 平凡社 2007/2/25初版発行
を借りてきました。
今年発表の第32回(2006年度)の木村伊兵衛写真賞は、1981生、梅佳代(うめかよ) さん、1978生、本城直季 さん、のお二人です。まだ20歳代です。
若い方が選ばれましたね。
いいことですね。
今日も一日、元気で過ごさせて頂き、ありがとうございました。
合掌
輝峰(きほう)、還暦+2歳でした。
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No.0010:2007/03/24
撮った写真は放っておかないで、こまめに整理しませふ!
釈迦曰く、「業因業果(ごういんごうか)」?
写真整理中。結婚以来、40年間弱の写真整理、ほんの一部です、
新しく作ったLサイズのアルバム数百冊に、ばらばらの大量の写真を適宜入れていく作業中。
D200+DX18-70/3.5-4.5G+内蔵ストロボ (18mm域)
・結婚以来40年間弱、撮ってきた、写真、フィルムの整理が、まったく未整理です。
・それで、定年後、初めて整理し始めましたが、半月たっても、まだ終わりません。
・写真は女房殿が、沢山のダンボール箱に、整理せずに、ばらばらに保管されていたのを、Lサイズ、2Lサイズ、A4サイズのアルバムに年代別にファイルに入れて整理中です。
・作業は、数百枚単位の写真を畳の上にまずならべ、それぞれがどのとき撮った写真と同じかを推察する、クイズ、トランプで言うところの『神経衰弱』?です。
・まずばらばらの100枚単位の写真を、とりあえず暫定的に年齢別に作ったLサイズのアルバムに入れていき、あとから出てくる写真が同じときに撮った写真なら、そのアルバムに入れる、が、すでに満杯ならで入らないなら、新しいアルバムを作りそこへ順次ソート(Sort)していき、写真の入れる空きスペースを作り、そこへ順次写真を入れていく。
・大量枚数の『神経衰弱』作業は、気が狂いそうになります。
・おかげさまで、コーヒーを飲もうと、ガスにかけた薬罐がなかの水が無くなるまで沸かすことになって、火事の心配まで、、、、、、
・Lサイズのアルバムだけで、相当な数になっています。
何百冊、、、?
・近くの生協のLサイズのアルバムを入荷次第、連続で、買い占めをしているみたいです。
・フィルムの方は、1,000本以上? その内、リバーサルフィルムは 三分の一 くらい?
・『捨てるものを捨てないで、整理ですか?』
・『ただ、ものを移動しているだけではないのですか?』
と女房殿に言われて、妙に納得しかかっています。
・しかし、、、思い出のあるものを、なかなか捨てられないのですよね、、、、、
・結婚以来、40年近く経っていますが、フィルムは退色しているのかしら、、、、
・整理未了で、まだフィルムをチェックするところまでいっていません、、
・そろそろ、『老いの身支度(おいのみじたく)』を
考え出す時期なのでしょうか、、、、
・あの世に持って行けないものは全部すてる時期?
・子供の写真で、「子供自身」が思い出に残して欲しいものは、子供自身に、自分の都合の良いときにでも来て見て貰って、欲しいものだけ子供に持って帰ってもらう時期?
・女房殿の言うところが正しいのかも知れません。
・カトリックの教えと、仏教の教えは近いかも。
・でも、人間、煩悩が邪魔をする、、、、、
南無阿弥陀仏、 合掌
輝峰(きほう)、還暦+2歳でした。
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No.0009:2007/02/27
家猫ハッピー曰く、「私も勉強したい」
輪廻転生?
座卓上の仏教書と家猫ハッピー、(D200レンズキット撮影、2007/1/20)
ハッピーの主人が夜、自宅で後期試験勉強中の席を、ちょっと外した瞬間に、家猫ハッピー曰く、「私も勉強したい」と、たまたま座卓の上にあった仏教の本(親鸞著『教行信証』「教巻」)の上のシャープペンシルを盗り、自分もなにやら書き込もうとしていました。
多分ハッピーが書きたかったのは、
「人身(にんしん)受け難(がた)し、今已(すで)に受く、
佛法聞き難し、今已に聞く。
この身今生(こんじょう)に向かって度(ど)せずんば、
さらにいずれの生(しょう)に向かってかこの身を度せん。
大衆諸共に至心(ししん)に三寶(さんぽう、佛、法、僧)に
帰依(きえ)したてまつるべし。」
と私に言いたかったのであろうと感じました。
家猫ハッピーの次の生まれ変わりの生(しょう)は、「人身」(にんしん)?
南無阿弥陀仏、 合掌
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No.0008 :2007/01/01
・あけましておめでとうございます。
・当方、2005/12/16 D200レンズキット購入、
・現時点、DSC_3611.JPG 昨年、3600ショット!/年。
・毎日少しずつ絵日記風に撮ってきて
一日当たり、10ショット!
・本当に、D200レンズキットの写りに満足しております。
・孫娘7歳と息子夫婦昨日来訪、娘夫婦、今、来訪、
・これから、皆で、お寺と神社へご挨拶、記念写真を撮ります。
・でも、朝から5合以上の美味しい日本酒を頂いております。
・飲み過ぎで、手ぶれしてしまうかしら、、
孫は本当に、かわいいですね。
・D200レンズキット購入までの、6年間の平均で、かつ一昨年も、
リバーサルフィルム、年間100本、3600ショットだったのに、、、、、
・昨年は、リバーサルフィルム20本、ネガカラーフィルム5本!!!で、
昨年 合計 1000ショット!/年
・デジ一眼と銀塩と合わせて、3600+1000=4600ショット/H18年、
・今年は、もっと、もっと、F6も、その他の銀塩カメラも、 デジ一眼と同じくらい撮るぞう!!!!
・あまりにも、すばらしいD200レンズキットのおかげで、銀塩がめっきり減ってしまった、 輝峰(きほう)、還暦+2歳でした。
亀ケ池八幡宮 D200レンズキット 2007/01/01-17:00
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No.0007:2006/12/31
大晦日の朝食:
輝峰(きほう)は、ダイエット中です。
85Kg ⇒ 65Kg(理想体重)。
1,680Kcal/1日、Maxです。
最近は、7ヶ月で7Kg減量でした。
一応、やっと目標達成しました!!
リバウンドが怖いです。
夜は紅白歌合戦。刺身。ハイビジョンTV、日本酒、ワイン、ビール、ウィスキー、紹興酒、等々。
カロリーオーバーにならぬよう要注意ですね。
今年の、年末、正月は、自宅で孫娘7歳を含め全3家族+家猫ハッピーが揃います。
楽しみです。
南無阿弥陀仏、 合掌
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No.0006:2006/12/26
夫婦の会話:
現役時代は恥ずかしくて、感謝の一言は、お互い避けていたのですが、定年後の夫婦は感じたことをお互い言葉に出して一言でも云った方がいいですね。
美味しく感じたら『今日の夕飯、美味しいね』と。
また、私が気が付いて、皿洗いや、家猫のトイレを掃除しておくと女房殿は気が付いて、『ありがとうね』と。
些細なことですが、お互い生かされて、生きている喜びを感じます。
南無阿弥陀仏、合掌
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No.0005:2006/12/25
還暦後の経験001:
最近肌が弱くなってきたと感じています。
毎日髭剃り傷が数カ所。
シック剃刀FXからシックDIAに変更。
すると剃刀傷がつかなくなりました。
今まで剃刀には関心がなかったのですが、やはり剃刀でも上等なものの方が肌にやさしいということがわかりました。
恥ずかしいですね。
南無阿弥陀仏、合掌
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No.0004: 2006/12/18
年賀状枚数:
定年になると見方が変わってきますね。62歳。
年賀状、400枚⇒250枚。
これから先、あと、何年生きれるか、厚生労働省の、
平均余命
(平成21年簡易生命表:平成23/01/03 現時点の最新版に差し替え)
では私は、あと何年? これからあと何が起きるか、不安もありますが、楽しみでもあります。
南無阿弥陀仏、 合掌
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No.0003: 2006/12/15
仏教勉強中 :
(浄土真宗本願寺派 東京仏教学院 築地別院 研究科)
「安心論題」(あんじんろんだい)って奥が深いですね。
前期のレポートは「二種深信」。後期のレポートは、「信心正因」(しんじんしょういん)。
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無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
(「親鸞」正像末和讃-36)
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No.0002: 2006/12/9
47年ぶりの同窓会:
中学生3年生時代の友人3人に47年ぶりに会い、関西で泊まりこれまでの互いの人生を語り合いました。
全員それなりの重い苦しみを乗り越えて、それらが、転じてやすらぎ、感謝となるまでの、こころの転換を、それぞれの非常な努力(哲学、宗教、経験学習)などを通じて実現されていました。感激です。
南無阿弥陀仏、 合掌
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無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
(「親鸞」正像末和讃-36)
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No.0001: 2006/10/29
罪悪深重、煩悩熾盛の凡夫の輝峰も地獄
願はくば、仏のかたより信心頂いて、弥陀の誓願不思議にたすけたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんと思い立つ心の起こるとき、すなはち摂取不捨の利益に輝峰も預けしめ給はんと。
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是非しらす邪正もわかぬ
このみなり、
少慈少悲もなけれとも
名利に人師をこのむなり
(正像末和讃-116)
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