「聞問記」(もんもんき)
『浄土真宗本願寺派僧侶・音楽家: 北條 不可思』
(ほうじょう ふかし)
-心に慈慧の響きと平安を-
本ページ記載原稿および内容について:ご住職談:2004/4/21
『特に定期的に書く予定はありません。
まずは、日常の諸問題をテーマに真実を聞いていく、といった趣旨のものです。』
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聞問記(もんもんき) NO.2
「助けられんのんじゃー」
Sent: Thursday, May 06, 2004 12:48 PM
Subject: 聞問記NO.2
イラクの邦人拉致事件を如何お考えでしょうか?
人それぞれに見解があるのは当然と思います。
このニュースを受け取ったときに思い出した事があります。
阪神淡路の大地震のときに、実弟の大慈は支援活動に参加いたしました。
2度目のときに、目に涙をためて愚生に訴えてきました。
「助けられんのんじゃー」・・・と (注 現在も兄弟間では広島弁)
その後も可能な限り神戸に足を運んでいます。
誰かを支援すること、何かの活動に参画することはいったいどうゆうことなのでしょう。
難しい問題です。
合掌という行為があります。
命(心)を頂くという意味もあると聞き受け賜っています。
もうひとつ、手を合わしているときには敵対する相手を殴る行為を放棄した姿でもあります。
合掌を押し付けられるとその手は離れ、喧嘩が始まります。
悲しく、愚かなる身がこの「私」です。
何もできない愚かなる身ですが、世に眞の絆と平安を願うばかりです。
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聞問記(もんもんき) NO1
「詩に-愛-を書いてもよいか?」
『人間的な愛も祈りも末通らない絵空事』・・・
縁絆通信 (2003/12/4 版より抜粋)
enban-tsushin.shtml
先般、毎年呼んでいただいている正福寺様(大阪・池田市)でのご縁で、
愚生が帰属しております浄土真宗本願寺派西本願寺はもとより佛教界を代表する大学僧のお一人、
勧学 梯 實円和上と膝をあわせてのお話をさせていただく機会に恵まれました。
22年前に恩師の勧学 林 水月和上に築地本願寺(東京)で「問い」をぶつけて以来、
いまだに頭の襞、心の底にある自問自答をご法話をなさる直前のもかかわらず
梯和上の法衣の袖をつかみ、「問い」をさせていただきました。
「詩に-愛-を書いてもよいか?」
基本的に佛教で言う-愛-は貪愛として苦悩の根源として取り扱われています。
もう22年も前に、果たしてそれで終わらせてよいものだろうか?いや、佛の慈悲として恋愛や
人間愛を超えたるものがらとしての-愛-を歌詩にしてもよいのではと決心して
佛教の僧侶でありながら-愛-を詩の中に入れることを始めました。
人が聞けばアホらしいことかもしれませんが、お釈迦様の教説を勝手都合で偽りを伝えることになるのだけは
極限までしたくなかったのです。現在も変りません。変れません。
ジョンレノンにもボブディランにも、他の音楽家にも素敵な愛(人間的)の歌がたくさんありますが、
その愛を超えた世界を表現せねばならぬのが、法衣着た者の道と肝に銘じているからです。
これまでに愛(人間的)の歌を書いたことは無いわけではありません。
ただ、佛の智慧と慈悲の働きは愚生の心の奥をえぐるのです。
『人間的な愛も祈りも末通らない絵空事』・・・・
このような質問を梯和上にさせていただいたのです。
「親鸞聖人は阿弥陀如来のご本願を愛ナリ、悦ナリとよろこばれておられます。
慈悲を慈愛と呼んでもよいでしょう。慈愛の愛も、貪愛の愛も字は同じですが、
慈悲の働きとしての愛を心に今後も作詩なさるとよいのではないでしょうか」と
お話をいただいたのです。
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『不可思の会』(オフィシャル後援会)
会費 年間 3,000円
入会者には、会通信とコンサートの紹介、作品(CD)の紹介を致します。ご讃同の程、心よりお願い申し上げます。
On The White Road、
北條 不可思 : Fukashi@be.mbn.or.jp
以上