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 当該のページは、 0014243番目 (1998/8/16~) 更新日(2006/02/22) 『 kiho-P018
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蓮向寺(れんこうじ)
前ご住職  

故 
北條 了介 師

ご訪問ありがとうございます。
♪よく,お越し下さいました!

 

親鸞聖人 蓮向寺前住職北條了介師、広島・蓮向寺本尊(室町期作)を相模原市へ
(左:親鸞聖人(重文:奈良国立博物館蔵)、
右:浄土真宗蓮向寺前ご住職,北條了介師)

(蓮向寺概観図参照)

聞法その1

1998.8.16(日)9:00-10:00am。 蓮向寺本堂にて、二人在りき。

輝峰(きほう)、蓮向寺前住職 北條了介師に問いて曰く、

小川一乗著『大乗仏教の根本思想』

のp384, -第四章 『即』の仏道 - の中の、第一節



(輝峰)問ふ:『生死即涅槃』(しょうじ そく ねはん)の


『即』とは、イコール(=)のことなりしか


(前住職)曰く:否。 『不二(ふに)』 のことなり。


(迷いと悟りとはイコールにあらず)


と。

 

親鸞:『正信偈(しょうしんげ)』:天親菩薩論註解


 『惑染凡夫信心発、証知生死即涅槃』


(惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ)

 


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蓮向寺ご住職
北條 不可思 (ほうじょう ふかし)様より、
故 前御住職 
北條了介師に関する情報ご提供掲載



1). 2005/09/01付 縁絆通信 (北條不可思 現蓮向寺ご住職記載)より抜粋
2). 2006/02/09 Thursday 03:38:32 Fukashi Hojo Official Site より一部ご紹介抜粋 

****↓ 引用 (縁絆通より) ************

《日々はつれづれ》 今年の夏は格別でした。切なく、あったかい記憶とともに心に刻まれました。
前住職の葬儀によせていただいた多くの方々の心づくしに励まされての日々です。
まだ、言葉に出来ません。   written by unokotobuki

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北條不可思に深大なる影響を与えた実父であり、善き師でもあった北條了介が、
去る2005年8月12日に阿弥陀如来の大悲に抱かれて浄土往生の素懐を遂げました。
名も無き念仏の僧侶ではありますが、
ここに追悼の意味を込めて略歴と2遍の詩を掲載させていただきます。


       撮影 ジョアオ ゴメス氏(フランス)



     撮影末本 弘然氏/本願寺新報特集記事(昭和54年)

北條了介の歩いてきた道

院号法名*梵龕院釋了介【ぼんがんいんしゃくりょうかい】

  昭和7年3月12日、広島県双三郡君田・浄土真宗本願寺派教念寺3男として誕生。
9歳の年に、4人兄弟の末弟が脳膜炎で死去し、これを機縁にお聖教を手にする。寝ても醒めても
授業中の教室でも開き続けたお聖教。僧侶としての生涯を願いと定める。23歳で第17代住職を継職。

  昭和33年、熊本県玉名郡長洲・信定寺長女・暢子と、島根の山奥のバスの中で出会い結婚。
3年後、故あって夫婦ふたりだけの出奔。引き止める両親はすでにこの世になく、
昭和36年、広島県呉市・単立寺院『連向寺』入寺の縁となす。

  同年長男不可思誕生、昭和38年寺号を『蓮向寺』と改名。昭和41年次男大慈誕生。
昭和43年本願寺派へ帰属、初代住職就任。やがて嵐が吹きすさび、全門徒、有縁関係者から絶縁の宣告が届く。

 昭和53年10月、本願寺派第1期東京首都圏都市開教専従員として相模原市着任。

「ご門主さまがご発意なされた伝道布教の道によって私は生かされた」と終生語る。

長男次男の結婚と布教所の蓮向寺教会申請承認(浄土真宗本願寺派東京教区・神奈川組編入)を見届け、
孫の慈音に障害を超えて念佛に生きよと伝え、73年の生涯を閉じる。

如来とともに家族とともに、一息是一生の道を歩き抜く。

『シンドイ・・・.ご縁です 他力回向 南無阿弥陀佛(ナマンダブ)』

             (平成17年8月5日入院先、国立相模原病院にて最後の言葉)

8月12日往生


2006/02/09 Thursday 03:38:32 Fukashi Hojo Official Site より一部ご紹介抜粋 (2006/2/22)


布教使時代のお聖教(30代)





晩年に開いていたお聖教(70代)

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【愚生には、敬慕する先師、法兄は国の内外に幾人かあるが、
今にその型破りの迫力と異様なまでの静けさを感じさせてくれる僧侶に出遇えていない。

それはあたかも、汚泥の中にありながら、けして錆びることのない
刃のような緊張感と不思議な暖かさを醸していた。

60歳で住職を退任して以降人生の一息を終えるまで、その刃を抜く素振りすら見せることはなく、
孫の慈音に自室の四畳庵や本堂で仏典やウルトラマンの絵本を子守歌を歌うように
読み聞かせて、  73年の念仏の日暮を見事に終えている】 

北條不可思





(一部抜粋終わり)
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親父に贈る詩/1980年「眞信讃歌収録」

(2005年8月12日をもって本作封印)  

                         詩/曲 北條 不可思



弥陀の教えを伝えて数十年 馬鹿にされる父を見た

「お前は本物の馬鹿野郎」 言われたままに手を合わす

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

*

流れて箱根を越えた時 本当は寂びしかったのか

住み慣れた街を離れても 離れたままに手を合わす

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

*

ボロを着ては街なかを 自転車乗ってチラシ持って

凍えるような顔をして 凍えた声で「ようこそ」と

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

*

今では心も落ち着いて 都会の冷たさ身に感じ

命の限りに声にして 弥陀の本願(ねがい)を伝えます

父は親様(阿弥陀如来)に護られて 死ぬまで伝えてゆくだろう

*

夢追い人とののしられ 馬鹿にされようとも

君は独りじゃない 君は独りじゃない

大いなるお方(南無阿弥陀佛)とふたり連れ



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心に刻まれし物語/2005年未発表

詩/曲 北條 不可思



瞳を閉じれよ 何が見えて聞こえる

心を開けよ 何が見えて聞こえる

生きている時に 手にしたものは

いつの日にか別れを 告げるものなの



心に深く 刻まれし物語

屍の姿にも 永久(とわ)に生きる



心に深く 刻まれし物語

罪深き者にも 永久(とわ)に生きる

****↑引用 (縁絆通信より)************


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                                                    以上


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