魚山 大原 「勝林院 開創 一千年紀」 成功裡に終了。(2014/01/13) 追記 3
一部の状況です。(引用です) (2013/10/17) 追記 2
・ 「勝林院開創一千年紀」点描。-一向衆の響き、真宗大谷派-
http://blogs.yahoo.co.jp/shorinin_millennium/folder/672170.html
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京都 大原 天台宗 魚山 (ぎょざん) 声明 (しょうみょう) 阿弥陀
「勝林院」 (しょうりんいん)
・通称、「問答寺」(もんどうでら) (法然、「大原問答」で有名)
・「天台声明」(しょうみょう)発祥の地 今年丁度 1,000年 (1013年創建)
・「勝林院 開創 一千年紀」 (開催:2013年10月5日~20日)
私、輝峰(きほう)は、「法然上人二十五霊場」のひとつとして、2013(H25)/4/4~6 の中で、京都、天台宗、「勝林院」(第21番)に参拝してきました。
(写真は、 『 「勝林院一千年紀」 オフィシャルサイト』 より)
勝林院は、京都の北の大原「三千院」の隣(すぐ奥)にあります。JR新幹線京都駅からバスで北の方(三千院の方向)に向かって一時間くらいのところにあります。
●「古寺名刹」(こじめいさつ):【大原の古寺と文化財】:「勝林院」:
勝林院本堂(京都市指定文化財):7×6 間の入母屋造り杮葺。享保 21 年(1736)に焼失し、安永 7
年(1778)に再建される。本尊の阿弥陀如来坐像は、文治 2 年(1186)に「顕真」(けんしん、1131~1192)と「法然」(ほうねん。1133~1212)の間で行われた
念仏談義「大原問答」(おおはらもんどう)に際して、問答の結果を証明した、「証拠の阿弥陀」 としてよく知られています。
●『大原問答 』(おおはらもんどう)
文治二年(1186)、法然と、法然(生誕地、岡山、美作、「誕生寺」(たんじょうじ、現在、地名駅名寺名)を招いた「顕真」(鎌倉前期の僧侶。号は宣陽房。岡山、美作守 藤原顕能の子 (1190年 天台座主就任))と比叡山の僧らによる、念仏により極楽往生ができるかどうかの問答が行われていた時に、この「阿弥陀如来」が大光明を放たれて「念仏によって人々は救われる証拠」を示された。
JR京都駅、京都バスC3乗り場、17系統大原行にて約1時間、大原バス停(終点)から、三千院、その少し奥にある、勝林院まで徒歩約10分強。(2013/4/6-10:00am)小雨でした(夕方、帰路予定の関東は暴風雨の予報でしたが思い切って行きたかった勝林院を参拝しました)。大原バス停(終点)から歩いて勝林院に向かう道です。この階段を下りた突き当りの正面が「勝林院」(入口)です。(2013/04/06、Coolpix P310撮影)
勝林院は、下記の宗派がいろいろな変化をしながらも踏襲してきている、天台、「声明」(しょうみょう)の1000年の歴史のある、根源地の寺院でもあり、また、法然上人の、「大原問答」(おおはらもんどう、または「大原談義」)でも有名なお寺です。
今回、勝林院では、大原三千院来迎院との共催で、「声明」(しょうみょう)の「魚山 大原寺 勝林院 開創 一千年紀」として、
2013(平成25)年10月5日~20日
までの16日間、大原三千院・来迎院共催にて開催されるとのことです。
クリックすると大きく見やすくなります。(2013/04/06 撮影 Coolpix P310)
京都、天台宗、勝林院の阿弥陀如来像。
クリックすると大きく見やすくなります。(2013/04/06 撮影 D800+50/1.4G。撮影とHPアップはご住職のご了承を得ております。)
勝林院の阿弥陀如来像は本当に慈しみのあるお顔をされていますね。私、輝峰(きほう)は、このようなお優しいお顔の阿弥陀如来像は初めてです。小雨が降っていて参拝するひとは私ひとりでした。2時間ほど撮影して一番私の気に入ったショットを選びました。
本堂のなかでの、全体の如来の像として撮っている、「 阿弥陀如来 」像(2013/4/6。D800+28/1.8G 撮影) の手元からは「五色の綱」が延びています。五色の綱は本堂の前に座る方へ伸びていてその、「綱の端に結び目」 (2013/4/6。Coolpix P310 撮影) があり、本堂に参拝する人はその結び目に触れることができます。
もう1本の下の向かっている白い綱は、葬儀の際に入り口の小橋・来迎橋の外に置かれた亡くなった方の棺(ひつぎ)と結(ゆ)われるそうです。
この時代、仏教の浄土教において、「紫雲に乗った阿弥陀如来が、臨終に際した往生者を極楽浄土に迎える為に、観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に従え、諸菩薩や天人を引き連れてやってくるための儀式とされていたとのことです。
いくら生前、知らず知らずのうちにたくさんの悪いことをしていたとしても、死ぬときは、やはり、地獄より、極楽浄土に往生したいのは昔も今も変わらないですね。
下記「勝林院略記」によると、:本堂に安置されている、この、康尚作の本尊、阿弥陀如来像(証拠の阿弥陀)(6m)は、平安時代、長保・寛弘年間(999-1012)に造仏され、江戸時代、元文二年(1737年)、仏師・香雲により補修されたとのことです。
本堂の入り口にて、下記、「勝林院略記」を頂きました。
「勝林院略記」 (左1頁目:「声明」(しょうみょう)、右2頁目:「大原問答」)。(エプソン スキャナー GT-5500wins にて)。クリックすると大きく見やすくなります。
参拝した当日、小雨が残っていましたが勝林院の門の受付で、下記の資料を頂きました。
クリックすると大きくなります。
個人用ですが、HPでの紹介とともに、少しでも協力させて頂きますと、上記払込取扱票も頂いてきました。京都から関東への新幹線での帰途、皺(しわ)が入り、見にくい文字がありましたらお詫びします。
このとき、勝林院ご住職(宝泉院、勝林院、兼務、藤井宏全さま)ともお話させて頂きました。
輝峰は昨年9月、約3週間、仙台を中心に、「東北大震災ボランティア支援復興活動」、「閖上(ゆりあげ)へ帰ってこいよ」、「法然物語」、などをしてきました。
その関係のひとつで、法然上人、阿弥陀如来像などの写真を撮っていますと申し上げると、大変恐縮されて、本来寺院の方が震災支援をしなければならないのですが、この勝林院のページを見られる方々のうち、下記の宗派の方の方々で、もしいろいろな仏縁などがあり、かつ、可能なら、無理のない範囲でのご協力をお願いしますと言われました。
輝峰(きほう)も定年後の仏縁で、築地本願寺境内にある学校にて、「勤式声明」(ごんしき しょうみょう)の授業を3年間(本科1年、研究科2年間)学んできました。「声明」(しょうみょう)は、ある程度になると本当にうっとりするような音楽にも聞こえてきます。日本でも、「声明」は一千年の歴史があるのですね。
****↓引用 ************
「勝林院開創一千年紀」記念法要に、 御出勤下さる予定の宗派と団体名:
( 『 「魚山大原寺勝林院開創一千年紀」 公式ブログ 』 より)
■天台宗 「大原魚山塾」「京都魚山聲明研究会」
■天台寺門宗 「総本山園城寺(三井寺)」
■天台真盛宗 「総本山西教寺」
■融通念仏宗 「融通聲明研究会」
■浄土宗 「梵響座」「聲明研究会」
■浄土宗西山三派
(西山浄土宗・浄土宗西山深草派・浄土宗西山禅林寺派) 「蓮門課誦研究会」
■浄土真宗本願寺派(西本願寺) 「西六條魚山会」
■真宗大谷派(東本願寺) 「音聲の会」
■真宗興正派 「和鳴会」
■高野山真言宗
■真言宗智山派
◆節談説教 (浄土真宗本願寺派・萼慶典師)
◆琵琶説教 (浄土宗・金森昭憲師)
●平安雅楽会
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「勝林院開創一千年紀」記念法要に、 御出勤下さる予定の宗派と団体名をアップさせて頂きます。
来る平成25(2013)年は、魚山下之坊の中心寺院・勝林院が開創されて、
ちょうど1000年をお迎えします。
ここに1000年間の長きにわたって法統が伝えられて来た意義は、
天台宗のみならず、天台宗以後の仏教諸宗派においても大変重要な意味が存在するのです。
勝林院本堂にまします本尊阿弥陀如来は、とりわけて浄土門にとっては尊い存在です。
天台宗の学僧・顕真法印と法然上人による「大原問答」は、広く世に知られるところであります。
この御本尊が、「弥陀の名号を称える念仏こそは、 まさしく末世相応の法門」と示され光明を放たれた故実をして、 「証拠の弥陀」と言わしめる所以です。
しかし、今日の我々が味わいますに、何もこれは法門の優劣を決するものではないのは、
こうして伝統仏教諸宗派が共に存在することからも理解できましょう。
さて、何よりも勝林院本堂におきまして、 諸宗派の志ある僧侶が集い、法要を厳修させて頂くことの意義は、 それは魚山が梵唄声明の根源地であることに起因すると申し上げても、過言ではないでしょう。
日本仏教に伝承される梵唄声明の中でも、 特に魚山声明が天台宗以後の仏教諸宗派に及ぼした影響は甚大です。
それはあたかも、魚山を流れる呂川と律川の水が大原の里へと流れ落ちて行くように、 天台宗から諸宗派へと美しき音曲が注ぎ込まれたのでありました。
天台宗以外の、魚山声明の流れを汲む音曲を伝える宗派に属し、 その音曲を次代に伝承しようと志す者は、 魚山の存在に絶大なる報恩感謝の念を抱かずにはおれません。
そうした思いの中、勝林院が一千年紀をお迎えするということは、 千載一遇の仏縁というほかありません。
魚山から諸宗派へ伝えられた声明を、根源地たる勝林院本堂でお唱えさせて頂くことは、
何にも代え難い喜びなのです。
近時、伝統仏教の現実を直視致しますと、 悲しいかな精神的支柱としての弱体化は著しいといわねばなりません。
京都にあまたとある古刹も「観光寺院」と異名を取ることからも解りますように、 信仰の拠り所という色彩が稀薄になった感が否めません。
そうした現況において、伝統仏教が再び本来あるべき信仰の拠り所として復権するべき機会が、
この度の「魚山大原寺勝林院 寂源上人開創一千年紀」であると信じてやみません。
いたずらなイベント然とした行事ではなく、勝林院の開創以来の歴史に刻む法要として、 魚山声明に源流を持つ諸宗派の声明が、21世紀の今、本堂の御尊前で響き渡ることこそは、 仏教信仰復権の糸口になると信じてやまないのであります。
魚山声明は宗派の違いを超えた、仏教の共通言語たる所以であります…。
文責 実行委員 藤波蓮凰 (浄土真宗本願寺派)
****↑引用 ************
勝林院
京都府京都市左京区大原勝林院町187
075-744-2409
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